神子畑選鉱場跡 CD125T 真夏の丹後半島ツーリング その④

2024 丹後半島ツーリング

兵庫県養父市の「明延鉱山跡」から兵庫県朝来市の「神子畑選鉱場」へ移動します。
距離は22㎞程なのですが山道で勾配もきついので、非力なベンリイは夏の暑さも相まって、上り坂では喘ぎながら走ってました。

 

8月13日12時


明延鉱山と神子畑選鉱場を結んでいたのが、「明神軌道」と呼ばれる前回の記事で紹介したトロッコ列車なのですが、この区間全長約6.6kmの路線ですが、そのほとんどがトンネルで鉱山から選鉱場まで鉱石を運ぶ重要な役割を果たしていました。

この明神軌道を走る明神電車は鉱石の輸送だけでなく、鉱山労働者や地域住民の移動手段としても利用されていたそうです。

しかしバイクで明延鉱山跡から神子畑選鉱場へは山越えをなので、トロッコ列車の三倍以上の距離を走ることになります。

 

 

 

明延鉱山跡から30分以上かかって、神子畑選鉱場跡に到着しました。
神子畑選鉱場(みこばたせんこうじょう)は、明延鉱山で採掘された鉱石を精錬するための施設として設立されました。
この選鉱場は、明治時代後期から昭和にかけて稼働し、鉱石の選鉱と精錬を行っており、明延鉱山で採掘された鉱石がこの選鉱場で処理され、純度の高い鉱物として精製されて出荷されてたそうです。

 


最盛期は24時間稼働しており、東洋一と呼ばれる規模だったそうです。
今でもその遺構を目の当りにすると、巨大な施設に圧倒されます。

 

 

明延鉱山と神子畑選鉱場は、日本の鉱業史を理解する上で欠かせない重要な遺産ですね。
かつての鉱山産業の栄光とその衰退、そして人々の生活や技術の進化について深く考える機会を得ることができました。
実は私は鉱山に関わる仕事をしておりますので、鉱山の歴史や選鉱技術の進化を学ぶことができ、とても有意義なツーリングとなりました。
現在では観光地として整備されておりますが、今後も日本の産業の発達過程を現物を見ながら体験をできる場所として後世に伝えることを望みます。

その⑤へつづく・・・

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